#1-2 実家の支援、給料、夫…隣の芝生と比べてもしょうがない

育Workerインタビュー#1 小川明子さん 第2話
3人の育児をしながら、仕事を続けてきた小川明子さんへのインタビュー。【第1話「こんなハズじゃ…」想定外だらけの育Workを救った一言】に続く第2話は、第二子出産後に認可保育園に入れなかったエピソードから。そして、今度は営業職ではなく、時間管理制のスタッフ職の働き方を選択した小川さんが、当時から心がけていたことについてお話いただきました。
聞き手・構成:本サイト運営人 小林麻理

小川明子さん
(リクルートマネジメントソリューションズに勤務)

認可保育園に入れない!?が結果オーライだったワケ

―1996年に第二子となるご次男を出産され、1年弱後に復職を目指されます。そのとき、認可保育園に入れなかったとのことですが、どのようなお気持ちでしたか。
次男が認可保育園に入れないとわかったときは、本当に焦りましたね。市役所にかけあってもたらいまわしでラチがあかない。
結果、認可外保育園を手当たり次第、あたりました。そこで出会ったのが、第三子までお世話になることになる保育園です。

小規模ながら施設内が明るくて雰囲気がよく、3歳になっていた長男も「ここなら通いたい」と言ってくれたことが決め手となり、長男と次男ともにお世話になることになりました。これが、まさに結果オーライでした。保育環境がとてもよかったことはもちろん、働くことに対する深い理解と暖かい心遣いで、私の育Work生活を支えてくれました。
ただ、施設の制約などから、運動会といった幼稚園で通常行うような行事はほとんど行っていません。そのため、のちに3人とも幼稚園へ通わせることにしたのですが、その前後の時間の面倒を見てくれたのもこの保育園でした。幼稚園と保育園の行き来をするお子さんがほかにも複数いたため、幼稚園の送迎バスが保育園に寄ってくれたからできたことでもあります。

もちろんお金もかかり、当時のお給料は子供たちの保育園や幼稚園代でほとんど消えていきました。それでも、私がそうしたいと決めたことですから今でも良かったと思いますし、保育園やその周囲の方々が柔軟な対応をしていただけたのが、とにかくありがたかったですね。

営業職から時短のスタッフ職へ

―2回目の復職はスタッフ職で時短という働き方、職種も営業からコールセンターの立ち上げに変化されます。どういった経緯だったのでしょうか。

営業で復帰した時代がいろいろ大変だった状況を踏まえて、当時検討を始めたコールセンターの立ち上げ企画スタッフとして働くのはどうか?という提案をもらったのです。

それに応じて職種も、時間ではからない営業職から、勤務時間量でお給料が変わるスタッフ職に転向となりました。しかも時短ですからお給料は落ちますが、その分、早く帰りやすくなりましたし、育児しながら働くリズムをつかむこともできました。
次男は長男のように慢性微熱に悩まされるようなことはなかったのですが、小さな子供が急に高熱を出して早く迎えにいかなければならない、ということは普通にあることですから。

登っている人生の山は人それぞれ

―職種や働き方が変わり、実家の支援があれば…といったように思うことはありませんでしたか。

新規業務の立ち上げにチャレンジという点でコールセンター立ち上げの仕事は楽しかったですし、このときはそうは思いませんでした。
私は、電話応対が得意で好きなほうでしたから、会社側はそうした特性もきちんと見て仕事を提案してくれたのだと思います。
でも、長男出産後の営業時代に大変だったときは、同じように復職して実家の支援を受けながら働いている女性と自分を比較して「いいな、実家が近いと」と落ち込むこともありましたね。

その女性は、私と同時期に2人目の子供を出産し一時は私の上司でもあった人です。彼女は家の近くにある夫の実家の支援を受けながら、2人目出産後もフルタイムで働き続けていました。
でも、この女性本人から、「みんなが自分のように働く必要はない。人は人。それぞれの働き方があっていい」ということを言われたのがきっかけで、「人と比較しない」という割り切りができるようになったと思います。隣の芝生は青いものだし、比較し始めたらきりがないですから。環境やお給料、夫も(笑)です。

そうすると、すいぶん気持ちがラクになりました。人生を山に例えると、登っている山は人それぞれだと割り切れば、あまり気にならなくなってきます。
逆に、同じ山を登っていると思うと、近くの人がどこまで登れているか、上手に登れているかが気になってくるものです。すると、「あの人は、私より上のほうまで登れているけど、うちは実家も頼れないしベビーシッターを雇うほどの稼ぎはないし……」と自分がそこまで登れない理由ばかり考えて、どんどん落ち込むばかりです。そんなことを考えている時間があったら、自分の山を登ることに注力したほうが、いい景色だってたくさん見えてくるはずです。

また、登り方も人それぞれ。計画や目標をあらかじめ立てて登る人もいれば、登りながら考える人もいます。どの山がいいとか、どの登り方がいいということはないと思います。結局、「うまくいかない理由探しのための比較はしない」のが一番です。そして、周囲や自分が恵まれているところに感謝することが、大事だと思っています。

3度目は半年で復職、育児は1人目が一番たいへん?

―たしかにそのとおりすね。私も胆に銘じたいと思います。その後小川さんが、3人目のお子さんを出産されたのが2000年。当時、3歳と6歳のお子さんの育Workも大変だったと思いますが、3人目ということに関して不安はありませんでしたか?

第一子第二子でいろいろと乗り越え、育児をしながら働くリズムもつかめたので第三子もいけると思ったんですよね。それほど大きな不安はありませんでした。
不安といえば、1人目の育児のときです。育児は、子どものことがまったくわからない1人目のときがいちばん大変だと思います。私は長男が生まれたばかりのときは、育児書通りに授乳間隔が3時間あかないということすら不安になって、いちいち実家に電話していましたから。母親からは、そんな些細なことを心配していたらきりがないと言われるのですが、「それで取り返しのつかないことになったらどうするんだ」とこちらは必死です。

長男のときは、「病気をさせてはいけない」という一心から、児童館のおもちゃも全部ふいてから触らせるくらい除菌や消毒も一生懸命していましたね。それで免疫力が落ちて、のちの慢性微熱につながったんじゃないかと思うくらいです(笑)。2人目3人目になると育児にも慣れてきて、除菌や消毒などどんどんいい加減になるし、育児書通りかどうかは気にならなくなります。
3人目のときは職場へも半年で復帰しました。それはお話した保育園が「産まれたら、うちで預かる」と待っていてくれ、この保育園なら0歳でも安心して預けられると思ったからできたことでもあります。
そういう意味でも、認可保育園に入れなかったことで出会ったこの保育園の存在に、改めて感謝したいです。

#こうして3度目は、時短の販促・マーケティングスタッフとして順調に復職を果たした小川さんですが、子供が1歳、4歳、7歳というときに夫の九州への単身赴任が決定、平日は1人で3人の育児に向き合うことになります。【第3話 ワンオペ3人育児で諦めたこと、大事にしたこと】はそこからお話を伺います。

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ABOUTこの記事をかいた人

小林麻理

ライター、社会保険労務士、本サイト運営人。執筆・編集オフィスライト(https://officewrite.wordpress.com)、社労士事務所ワークスタイルマネジメント(https://workmanage.net)代表。1978年千葉県生まれ。2000年早稲田大学法学部卒業、NTTデータ入社。2003年に出版社(商業界)に転職、その後、翔泳社を経て、2013年3月に独立。現在、2歳の娘の育児中。