#2-1 仕事も育児も「不満を言う相手」には選択させるのが一番?

育Workerインタビュー#2 白羽玲子さん 第1話
育Workerインタビューお2人目は、現在中学生の長男と、発達障害(知的障害を伴う自閉症スペクトラム)の診断を受け現在特別支援学校・小学部に通う次男の育児をしながら仕事を続けてきた白羽玲子さん。2014年に独立、障害のある方の就労訓練の場ともなっている珈琲自家焙煎店「縁の木」を運営されています。

白羽玲子さん
(「縁の木」を運営)

白羽さんは、私(本サイト運営人)が株式会社翔泳社に在籍時の先輩社員だった人でもあります。第1話では当時のことも振り返りながら、結婚・出産前後の働き方の変遷と、そうしたなかで培われた、自分とは価値観の違う相手や不満を言う相手に対する白羽さん流対応法についても、教えていただきました。
聞き手・構成:本サイト運営人 小林麻理

 

「結婚後は辞める?」どうでしょうね??

―1994年に大日本印刷に入社。2001年に出版社の翔泳社に転職し、02年に大学時代の友人だった旦那様とご結婚されます。この間の働き方の変化はどのようなものでしたか?
大日本印刷の頃は出版社を相手にした営業職です。土日は必ず休みではなく、夜も遅くまで働く日々。それでも、仕事は楽しくて、このままずっとこの会社で勤めあげると思っていました。
ただ入社後、父親が肝臓癌で余命5年と宣告を受けたことはずっと気になっていました。それで、「父親のこともあるし、遺る母や祖父母の生活のこともあるし、今の働き方を変える必要があるのかもしれない」という話を取引先の方にしたのが2000年の夏のことです。

そこで、取引先の方から「ぜひどうか」と紹介していただいたのが翔泳社。当時の重役の方を通じてすぐ面接の段取りもつけてくれ、とんとん拍子に転職する話がまとまりました。そして、仕事に区切りがつく4月に転職し広告営業として働くことになったのです。
その後、父は息を引き取りましたが、土日が休みで茅ケ崎の実家や祖父母の様子も見られるし、収入も増えたので、転職して良かったと思いましたね。

夫は大学時代の同級生です。転職前後に付き合おうということになって、02年に結婚。もちろん仕事はそのまま続けました。でも、じつは結婚前、「結婚したら、仕事はやめるんでしょ?」と義母からは言われていたのです。「結婚したら仕事は辞めるもの」というのは、義理の両親の共通の認識でした。

―そうした義理のご両親にどのように対応されていたのでしょうか?
「どうでしょうね??」とにこやかに受け流していました。翌年のお正月、仕事をやめていなかったことにびっくりされたのも、よく覚えています。まあ、直接叱られることはありませんでしたが。義母は、結婚してすぐ「子供はまだ?来年くらいにはどう?男の子がいいわね?」という事も言っていました。そして、義父もまたそういう感じの人でした。

こうした調子の義理の両親に対して「どうでしょうね??」は私の常套句(笑)。相手は悪気があって言っているわけではないので、議論してもしょうがない。かといって何も聞かないと関係性が崩れてしまう。だから相手の言い分を聞いたうえで、自分の行動に反映させるかどうかは自分が決めればいいと考えていました。

夫の実家との関わりの中で、昔の人が思い描く「あるべき姿」というものをベースとした文化の違いを感じることは多かったです。でも、そのおかげで、「世の中にはいろんな人がいる」というある種の多様性を学ぶことができたように思います。

会社にいないアイツは働いているのか?

―受け流しつつ、学ぶ…それができるところに白羽さんの強さを感じます。そして結婚から3年後の05年に長男さんを出産、06年4月に復帰されます。その頃、育児しながら仕事するという面で工夫されていたことはありますか?
復帰後は広告営業から直販営業へ異動。とにかく時間がないなかで、直行や直帰ができるような時間帯に客先アポを入れて移動時間を節約したり、その合間の出先で資料作成やメール連絡を完結させたりすることで、時間効率を最大化する工夫はしていました。
私のやり方は同じ部署の上長は理解してくれていましたが、会社にずっといないし、遅く来るわ、早く帰るわ、なので、他部署の人が「アイツはまともに働いていない」と大きな声で話しているのを、噂も含めて耳にすることはありました。

会社で働いている姿が見えない人は、信用が一番大事だと思います。信用してもらえなければ、ただのインチキにしか見えないわけですから。そうした信用していない人の声を、なんとも思わなかったわけではないけれど、私はこうした時間の使い方で営業成績もそこそこは上げていましたし、いまでも良かったと思っています。

女でガッカリ?相手の価値観はそう変わらない

―08年には次男を出産、今度は広告営業として09年4月に復帰されます。私が当時、強く印象に残っているのが、編集長が校了間近というタイミングで、広告に関する不満を白羽さんに言ってきたときのことです。
今更なぜそんな事を言うの?と私はかなりモヤモヤして聞いていたのですが、白羽さんは「じゃあ、差し替え手配しようか。それとも〇〇する?差し替えなら〇時までだね」といくつかの案をその場で出して応じていたんです。すごい人だな!と思いましたね。
私は結論をすぐ出すほうですし、不満を言う相手には、最終的にその相手にどうするかを決めてもらうようにしているので、そう対応したのでしょうね。そして、どうするかを決めてもらうとき、選択肢がないと相手も決められないから、相手が「どうしたいか?どうしたら満足するか?」ということを考えて、いくつかの案を提示するようにしているのです。

―なるほど。でも実際は「なぜ…」で止まってしまって、「どうしたら」という建設的な解決策を提示するのはとても難しいように思います。白羽さんのそうした提案力はどのように培われたのでしょうか。
印刷や広告営業は受注する時にはカタチができていないものを売る仕事。だから、時間やお金の制約があるなかで、どうしたら相手が得たいモノや効果を実現できるかを考えるクセはついたと思います。

そして、思い起こされるのは社会人になった頃のことです。当時、昼夜を問わない印刷屋の営業はほとんどが男性。そこで私がお客様のところにいくと、「なんだ、女の子が担当か」とあからさまにガッカリされてしまうこともありました。
たとえば、夜20時すぎに電話があって「色校正が気にくわない。アンタ、女だからどうせ判断も対応もできないでしょ?」と言われたりするわけです。そんな相手に「なぜそんなこと言うの?」なんて思っても仕方ありません。相手の価値観はそうそう変わるものではないからです。

そしたら相手が納得する提案をするしかないのです。その時は、「判断は私1人ではできないけれど、そちらに行って一緒に判断しましょう。工場や生産管理本部の確認が必要なものは持ち帰ります。その対応でいかがでしょうか」というような提案をして、先方に伺ったと記憶しています。
また、提案をするなかでもし、相手に動いてほしいとなったら、「私は〇〇するけど、あなたはどうする?」というふうに、「自分ができること」を先に言うようにしています。相手に「こうしてほしい」とだけ要求を言うのとは、結果が大きく違ってきます。

そして、こうした考え方をするようになったのは、仕事だけでなく様々な人生経験の積み重ねが背景にはあるような気がします。相手の価値観をむりやり押さえつけて説得したって1度きりで終わってしまう。それよりも、不満を言っている相手自身に、解決策を選んでもらうほうがいいのです。

宿題、朝やる?夜やる?やらずに補講?

―そうした提案型の考え方は育児にも活かせそうですね。「なぜ〇〇しないの?」「○○しなさい」と怒っても、子供は反発するでしょうから。
言われてみればそうかもしれません。たとえば、いま中学生の長男が「宿題したくない」となっているとき、私は「なぜ宿題しないのか」「宿題しなさい」とはめったに言いません。
「朝に宿題すませて夜は好きなテレビを見るのも人生。夜に宿題して朝はゆっくり寝るのも人生。宿題やらないで、成績下がって補講で部活ができなくなるのも人生。あんたどうする?」と聞きます。そうすると早起きが苦手で部活に夢中の息子は「夜やるよ!」ってだいたい言いますよ(笑)。

親子3人・自宅にて

#こうした白羽さんならではの提案力を発揮しながら、ご自身も「ずっと続く」と思っていた会社員としての育Work生活。しかし、2011年、2歳の次男が「知的障害を伴う自閉症スペクトラムの疑いがある」と診断を受けたことから、現在に至る大きな転換を迎えることになります。次回【発達障害の診断から、息子と自分の進路を決断するまで】では、その診断前後のことからお話を伺います。

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ABOUTこの記事をかいた人

小林麻理

ライター、社会保険労務士、本サイト運営人。執筆・編集オフィスライト(https://officewrite.wordpress.com)、社労士事務所ワークスタイルマネジメント(https://workmanage.net)代表。1978年千葉県生まれ。2000年早稲田大学法学部卒業、NTTデータ入社。2003年に出版社(商業界)に転職、その後、翔泳社を経て、2013年3月に独立。現在、2歳の娘の育児中。